毎日続けるのは簡単だ。

毎日続けるのは簡単だ。
なぜなら私達は必ず、毎日やっていることがあるから。
私達が毎日続けられない生き物ならば、何も毎日同じことはできない。

 

ではなぜ毎日続けられないものがあるのか。
続けられない時はこれはやりたくない、と思っているからだ。
つまりやりたければ毎日やることができる。

 

ではなぜやりたくないと思うのか。
それが本当に自分に合わないか、それを今やる必要がないか、それが楽しくないからだ。

 

自分に合わないものをどうこうすることはできないし、それを今やる必要がないということはやらなくていいと思う。

 

では、楽しいと思うためにはどうすればいいのか。
私は自分のペースでやっていれば大半のことは楽しくなると思う。
人と比べず、自分の感動に身を任せて、他の人と違う視点で良いから、突き進めばいいと思う。


自分を信じてさえいれば毎日できる。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今の私には分からない意味がある

今日は大学へ。

久しぶりの電車で電車の乗り換えをさんざん間違えて上り下りを行ったり来たりしていた。思っていたより遅く、雨も降っていたので、今日は駅から徒歩でなくバスで行くか…と思ったら久しぶりに先輩に会った。

 

そして今日は午後から雨っぽかったので今日は行きも帰りもバスかな~お金かかるな~と思っていたらなぜか帰りは雨が降っていなくて歩いて帰れた。

 

緑色の木々や、青い蝶を見かけて、幸せな気分でとことこ歩いて帰った。

 

全てのことに意味はあって、常に私を幸せに向けて運んでくれるのだと思う。

その場で少しむ~っとしても、これには今の私には分からない何かの意味があるのだと思っている。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

才能

今日も切り絵。毎日楽しい。

 

今日も公募に一つ応募。ダメ元って思うくらいのチャレンジしていれば自分のエゴが入る余地がなくなっていいのかなあなんて思ったり。

といいながら結果を出しているわけではないので仮説である。

 

 

ふと仕事とは、人を喜ばせるための手段だというのがよぎった。だから仕事ではとりあえず人を喜ばせるにはどうしたらいいか考える。

 

そして才能は人を喜ばせる。

ならばみんなが才能を発揮すればみんなが人を喜ばせてみんなが豊かになる。

 

全然オリジナルではなく色々なことを聞いてきたのが頭の中でつながったのだろうけど、改めてすごく腑に落ちた気がした。

 

好きも才能のうち。

全部才能。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

 

透明水彩、コンペ、ヨガ

今日も午前は切り絵をした。もう、楽しいのなんの。

最近透明水彩絵の具を買ったからそれで色付けしてるんだけど、不透明水彩よりサラッとした色合いでグラデーションも綺麗にできて素敵。

不透明は不透明でしっかり濃い色で可愛いんだけどね。

 

午後は文章のコンペ調べて、すぐ書けそうなやつに応募してみた。

受かる確率はかなり低いとは思うけど、たまにダメ元でやったら当たることもあるので、自分がその場でできそう、と思ったらやってみている。

何か楽しいし、わくわくするし、課題について考えるのが意外と楽しかったりする。

ただ何日もかかるものをやるとだんだん面倒になってきそうなのでその日にできそうなものをやる。

 

あとNTCのアプリでヨガやった。やっぱりストレッチは気持ちいいし、NTCのヨガは最後に「ナマステ。」って言ってくれるのが好き。笑

 

今日も色々悩んだりしたけどこうやって振り返ってみると楽しい日だったな。

こうやって文章をタイプしているのも楽しい。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 

 

とことん相手を喜ばせる

愛されているかごちゃごちゃ考えてしまう時は、自分が愛せている自信がない時だ。

自分がその人のために行動していれば、相手が自分のことをどう思うかなんて考える暇がない。

 

人を喜ばせたいと思うのは、評価を気にするということとは少し違う。

 

どうすれば喜んでもらえるかな?と考えるとめちゃくちゃ楽しい。

感謝

やってくれたことに対する感謝ができなくなっている自分に気づいた。

一瞬落ち込んだけど、無条件に感謝できるようになっているのかもしれない。

やってくれたことに対する感謝も素晴らしいけど、存在だけに感謝できたらさらに幸せだ。

無条件の愛、理解、姿勢

どんな自分でも愛されている。どんな自分でも幸せであるのと同じくらい。

それを信じられて初めて感謝が湧く。

 

理解できないから好きになる。自分と全く同じ人だったら、安心はするかもしれないけど、予想通り過ぎて当たり前、って感覚になる。だから大事な人のことが理解できないからといって嘆かなくていい。違うから人を好きになるのだ。

 

人は誰かの能力を好きになるのではなく、生きる姿勢を好きになる。