自分なりに味わう。
今日も午前は切り絵。青い素敵な花を作った。
お昼はきのこの炊き込みご飯を食べた。改めて、舞茸って香りが最高だな…と感じた。
名前からして、「舞」っていう字を使う時点で素敵すぎる。
午後は授業を受けた。一つ一つのことを味わおうとすると、目の前のことにとても集中できる。分からなくてもいい、できなくてもいい、早くできなくていい、ただ自分が感じたことを味わい尽くす。その中にいるととても充実感がある。
そういう心持ちでいくと自分の学校の研究テーマについて調べることも楽しくなってくる。ああ、こんなにある、大変だ、なんて思わず目の前に来たことを一つ一つ丁寧に味わっていればいいのだ。そうすれば、色々なことを自分なりの視点で楽しめる。
そんなことに感動した今日だった。
読んでくださりありがとうございました。
感じること、純粋理性批判
今日も午前は切り絵。今日は色が良い感じの切り絵ができた。
あと武田双雲さんのyoutubeを聴いた。日常の行動を、目的を持たずそれ自体として感じられているか。一つ一つの行動をきちんと味わっていれば幸せを感じられるとおっしゃっていた。例えば歯を磨くにも、歯をきれいにするために歯を磨くのではなく、「歯を磨く」という行為そのものの感触、感覚、感謝をきちんと味わえているか、ということだった。
私は最近、目的を持った方がより良い行動をとれると思っていたので、袖を引っ張られた思いだった。
実際やってみると、世界の色々なものが大切なんだなあと思うとともに、暇がなくなった。笑
目の前に魅力的なものがありすぎて、何か考えるよりそっちに意識が向かってしまう。
その世界は、なかなか理解されにくいだろうなあと思ったし、仕事はますます遅くなるだろうけど、逆に、自分の楽しい世界を守るためには、その感覚を大事にすることが大切なのかもしれないと思った。
それと、今NHKの「100分で名著」でカントの『純粋理性批判』をやっていたので2回分見た。目に見えている物はあくまで私達の主観であって、物自体ではない、という考え方から、それでは私達が絶対的に共有できる概念というものが科学と呼べるであろうみたいな話だった。(点と点を結ぶ線は必ず直線である、みたいなものはみんなが共通に認識することなので科学と呼べる、みたいな)
つまりそれは反論の余地がない概念のことなのかな、と思った。かっこ良いけど、すごい厳しい世界だなあとも思う。
私は今一応生物学を学んでいるのだけど、その反論の余地のない世界で生きていけるのか、やはり悩むところだなあと思った。
といいつつ今私はキーボードでタイプする感覚を感じている。指に心地よいカチッという感覚が伝わってくる。すごいこれ、ちゃんと感じてみるとめちゃめちゃ気持ちいい。
そんな風に、日々を大切にして生きていきたいと思った。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。
感謝してみた
今日は朝起きてまず切り絵。
楽しい。ほんと、切っていて無心になれる瞬間、脳が気持ちいいと言っている。
あと、今日は色々な方を見習って、できるだけ感謝するようにしてみた。
そうすると、力が湧いてくる気がした。なんだろう、ほんとに私、恵まれてるんだな…という気持ち。
バイトでも、私は全然仕事ができなくて迷惑をかけてしまうのだけど、落ち込むよりも感謝してたら、こんな私に丁寧に教えてくれる、ちゃんとシフトに入れてくれる店長はなんていい人なんだ!ありがたい!ってなる。
感謝してたら、この今の生活はほんと当たり前じゃないんだなって思うし、この幸運を活かして自分のやりたいことや楽しいことをやらないともったいないな、って気分にもなった。
ということで家に帰ってデメルのシトラスタルトを買って食べたのだけどこれがまた美味しかった。中にレモンカードが入っていて、さらに柑橘系の果物(何かはわからない…)もはいっていた。果物いっぱいで甘酸っぱい美味しいタルトだった。
最後まで見てくださってありがとうございました。