純粋理性批判2

あと今日はNHKの「100分で名著」の『純粋理性批判』の最終回を見た。

 

カントは全てが物理学等で説明できる因果律の中にあるなら、我々に自由意志はないのではないかということを考えた。しかしそこで自分なりに普遍的に成り立つであろうという道徳を持って行動していれば、その道徳は自由意志といえる。つまり因果律と自由意志は両立する、ということを言っているそうだ。例えば生活が苦しくて、お金を得るために悪行をしてしまったという場合、生活が苦しかったとしてもそこで悪行をしないという自由はあるので、そこに自由意志がある、ということだった。

 

へ~と思いながら見て、その後武田双雲さんの動画を見たのだけれど、双雲さんはあまり自分が何かをする、というより目の前の神による素晴らしい贈り物(だったかな?)にただ感動しているだけだ、というようなことを言っていた。

 

 もしかしたら双雲さんに自由意志はないのかな、なんて思ったりした。

 

波に乗るということは、つまり良い因果律に乗るということなのかなと。

自由意志を放棄する。それよりももっと大きなものに身を任せる。

その都度意思を持つというよりただ接し方、自分の波長を変えるだけなのかな、っていう感じ。

そうすれば自然と良い波に乗る。

難しいけど。

 

そしてふと「アートオブデザイン」でネリさんが言ってたことを思い出したけど、

アインシュタインの言葉で「人生には二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。」というものがあるらしい。それも波に乗るということにつながっているのかな。身の回りのことを奇跡として感じることでより大きなものに出会える。正しい良い因果律に乗れる。逆に奇跡が無いというように生きると因果律に乗れないのかな、みたいな。それが悪いわけでもないと思うけれど。

 

読んでいただきありがとうございました。